10年間で何ができる?〜連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の感想

数年前からツイッターで呟いているのがNHKの連続テレビ小説の感想。放映日の月曜日から金曜までほぼ毎日呟いている。今やっているのは「カムカムエヴリバディ」。このドラマの構成は珍しい形で、三世代にわたって主人公を置いて、そのひとりひとり追っていく100年仕立ての物語である。3月は最後の大詰めであり、残すところ放送回数は一桁。この最後の大立ち回りをこの短い尺でどう収めるかが見どころである。この記事ではカムカムエヴリバディを見て感じていることを、個人的視点で書いていくことにする。

日々鍛錬しいつ来るともわからぬ機会に備えよ〜伴虚無蔵の名ゼリフ

「カムカムエヴリバディ」の放映は4月の8日まで。この最終段階に入って注目しているのは、3代目ひなた(川栄李奈)とその恋人役の五十嵐(本郷奏多)の師匠といえる名脇役の伴虚無蔵ばんきょむぞう(松重)の名ゼリフ日々鍛錬しいつ来るともわからぬ機会に備えよである。自身も鍛錬を20年以上続ける虚無蔵に折りあるごとに励まされてきた二人。それぞれの道にあってコツコツとたゆむことなく10年間、技を磨き続けた先に見えてきたものは、ひなたの流暢な英語でのコミニュケーション力と五十嵐のハリウッドで認められた殺陣であった。鍛錬をはじめた当初、恐らく二人ともこんな世界がめぐりくるとは、想像もしていなかったはずである。

10年間、コツコツと鍛錬を積み上げられたら見える世界があるらしいというのはわかるけど・・・

10年ひとむかし。「この10年何をしてきたのか。この先の10年で何を続けていくのか。」友人と先日、そんな話題をした。自身に残された寿命から逆算したとき、このあとの10年のクールは、いったい何回やってくるのだろうか。

ここで自分の近いところの10年クールを2回分振り返ってみたい。結婚を機に東京を離れ、北海道に住みはじめて20年が経った。最初の10年は専業主婦でスタート。あのときは北国の生活に馴染むだけで精一杯だった。こちらにきて7年目に子供を授かってからは生活が一変した。

子育てが少しだけ落ち着いた次の10年、ここからはフリーランスのライターになろうと決めて、WEBで個人のコンテンツの配信を始めてプロフィールライターに。WEB集客をして仕事を続けていくには、コツコツと発信を積み上げていくのが基本であることを学びながら頑張るものの「何をやってるんだろう?!」「これが何になるんだろう?」という葛藤を続けながら、ブログの更新を毎日続け、積み上げる奮闘の3年間だった。

日々鍛錬しいつ来るともわからぬ機会に備えよというあの名ゼリフに励まされているひなたや五十嵐のように、私も先輩に励ましていただいてここ数年のライターとしての自分がある。プロフィールライターとしてのビジネスプロフィール作成代行の受注のほか、リコーの360度カメラTHETAのオウンドメディアで年契約をいただき毎月必死になって5〜7記事を描き続けた日々も有難い経験であった。この10年のラストはコロナ禍となり、身動きが取れない状況下で時間ができて、動画撮影と編集に力を入れた。私のやっている有象無象なYouTubeチャンネルでも、続けていくと登録者1000人を突破し目標にしていた収益化にたどり着くことができた。

北海道にきて早くも23年。北海道での10年の3クール目がはじまって、今年で3年目となる。2021年年末には、ライターとしてずっと目標にしていたブックライターデビューをすることができた。ライターとして2冊の本を担当した。これはここまでの10年✖️2のクールで見ることができた景色である。

次の10年は何をやる?

この3クール目の10年の先に見える景色は、まだみることはできない。何も見えないけれど、今積み上げていること、今いただいている仕事に真摯に全力で取り組んでいく先にあると信じている。日々鍛錬しいつ来るともわからぬ機会に備えよという虚無蔵さんの言葉がここでも胸に響く。

どんなにいま仕事が忙しくても、日々淡々と続けて積み上げていかなくてはその景色はみることはできない。やっていけば先は見えなくとも、確実に自分の中に積み上げていくものはあることはわかっている。けれど私も凡人だし、日々の忙しさにかまけて自身を鍛錬することを後回しにしがち。正直、挑戦を続けていてもペースが落ちたりもするし右往左往もする。「これが何になるの??」と思う日もある。

この3クール目の残りは7年あまり。ここで鍛錬したいのはキャッチコピーが書けるようになること。今でもそれ何やりこなして入るけれど、もっと磨いていきたい力である。伝説のコピーライター竹島靖さんのワークショップについてはこのブログでも以前に書いているが、月一でのワークショップで学びを続けている。しかし・・・復習もできていないし、宿題もできていない。やらなきゃいけないことはわかっているんだけど、どうも忙しさに流されていく情けない自分がいる。

今年中にスタートしたいのが、毎月のワークショップの復習を一回やる。そして1日のうちで10分間キャッチコピーを意識する。面白いキャッチコピーを探すのでもいい。メモするのもよし。考えるのもよし。これをまずは100日間目指して続けてみようと思う。

チャレンジも習慣化するまでには個人的な思いは1年はかかる。その最初の一歩をクリアできるように挑戦を始めたい。

昭和レトロは、私のリアル時代ですから笑

話は変わる。カムカムエヴリバディの舞台は、今は昭和。主演女優の一人・深津絵里さんは好きな女優さんのひとり。この記事にはまったく関係ない話だが、この「女優」という言葉は、最近は使われなくなってきた。男女雇用均等法とかジェンダーレスの影響もあるのかもしれないが、個人的には女性の俳優さん(actress)はやっぱり「俳優」より「女優」のほうが適切な気がしているw

カムカムエヴリバディでは、この深津絵里さん演じる2代目「るい」から、3代目の川栄李奈さん演じる「ひなた」の時代は、昭和の時代のど真ん中。自分の幼少期にもややかぶるところがあって懐かしく視聴してきた。

特にこのドラマで3回でてきたお祭りのシーンはとても懐かしかった。幼少期に住んでいたアパートの裏には天神様があるって父親に連れられて出店がひしめくように並んでいたお祭りに、お小遣いを持っていった楽しいかったことは今でも思い出す。射的とか輪投げ、それから水飴にくるまれた大きな赤い色の杏飴。サイズ大きなえびせんとセットで色のついたソースを売るソース煎餅も印象に残っている。あの境内でのお祭りは毎回かなりの賑わいだった。いまその天神様に行くと、「こんなに小さかったっけ?」と思う。子供の頃、毎日のようにそこの天神様で遊んでいたのがほんとに懐かしい。

昭和の時代、あの界隈にはスーパーやお店が軒を連ねる商店街があった。お肉屋さんではその場で揚げる物も売ってて、おつかいに行かされて、コロッケ、とんかつ、唐揚げもその場で揚げてもらって買ってくるような、そんな生活だったことも思い出す。その界隈もいまでは高層ビル街の麓。高級マンション群が立ち並ぶ場所で、天神様以外は商店街の影も形もない。

人間関係が希薄になるほどに、積み重ねて鍛錬している人が信頼され光る時代に

昭和の時代は、今と違って近所のおばちゃんやおじちゃんがよく声をかけてくれた。時間を忘れて遊んでいて帰るのが遅くなった日、心配して探し回った母をみかけたご近所さんが、総出で私を探してくれたこともある。意外に近所の人と人との繋がりが深くて、家族構成や帰宅時間などは、周囲のひとたちはだいたいは掌握している時代だった。

時代は変化し、地方の一軒家ででも暮らしているなら話は別だが、マンション暮らしではご近所付き合いも昭和のようにはいくこともない。隣が誰が住んでいてくらいはわかるけれど、どんな時間に帰ってきて何をしているか、どんな家族構成でいるのかは知っている人も少ないのではないかと思う。コロナ禍にあっては、さらに人との付き合い方にも変化が生じた。相手もあるから会いたくても気兼ねなく会うことはなかなか叶わない。

しかしその反面、こうやって人と人との関係が希薄になっているときにこそ見えてくる人間関係もある。実は自分の意志さえあれば、繋がっていたい人とはつながってはいけるからだ。それがいいのか悪いかはわからない。

蔓延防止措置が解けて、昨日から長男の友人が2人遊びに来て泊まっていった開催しているわけですが、高校男子3人揃って何かをするかと言えば、特別なことをするわけでもなく何話すわけでもなく、そのままでいられる関係は、本当に楽しそうだった。

人との実際ので出会いがなければ、繋がっていたい人も見つからない。リアルな出会い、声をかけていく近所付き合いもそうだし、この時代であるからこそ、人と人とが何か歩み寄る必要はある気がしてならない。

そして覚えておきたいのが、人間関係が希薄になるほどに、積み重ねて日々鍛錬している人が信頼され光る時代になったな、とも感じている昨今である。

参照:カムカムエヴリバディ公式サイト

ABOUTこの記事をかいた人

遠藤 美華

遠藤美華(えんどうみか) ブログを書いてライターになった経緯から、ライティングやWEB集客で学んできた経験値をもとに、40代からのアラフィフ世代の女性へむけて情報発信をしています。 取材に基づく文章作成が得意なライター。WEBサイトに載せる経営者や個人事業主のビジネスプロフィール文や代表者挨拶文の作成代行、インタビュー記事やオウンドメディアでの執筆など。ブックライティングもボチボチお手伝いをはじめました。