赤ちゃんを授かる奇跡〜生まれてきてくれてありがとう〜

私がライターになったのは、今から3年前です。息子が9歳になって子育てが少し落ち着いてきたころからはじめました。その子がこの3月、12歳の誕生日を迎えます。結婚7年目にようやく授かった男の子です。

 

来月、その息子が札幌の私たち夫婦の元を離れ東京で中学校生活をスタートさせます。いい機会なので、息子を授かった時のことを思い出して書いてみようと思います。

30歳になって不妊治療専門の婦人科へ

20代後半で結婚を機に実家のある東京から札幌へ。なかなか赤ちゃんを授からず、30代にはいって不妊治療専門の病院の門を叩きました。

 

検査を進めるも、私は子宮の病気で妊娠をしづらいとの診断でした。子宮は通常、受精卵を受け入れるふかふかのベットを作って排卵期を迎えます。けれど私の場合は、常に子宮の壁が厚くてふかふかどころかパーンとはっていましたので、受精した卵も子宮の壁に着床するのはむずかしいという病気(子宮内膜腺筋症)でした。

 

病気の影響で、貧血がひどいし体は冷える。なおかつ知り合いのいない北海道での慣れない生活は、寂しく心細い毎日で、妊娠しやすいカラダからほと遠い状態でした。

子宮内膜腺筋症であると、妊娠する可能性は限りなく低い

不妊の専門医は、妊娠の可能性の少ない不妊治療について、たとえ本人が望んだとしても積極的には取り組んでくれません。体外受精や顕微鏡受精などでの治療は、高額でもあるし、体への負担やストレスもあるからです。患者の側になって考えてくれるからこその判断なのはわかっていました。

 

私のような子宮内膜腺筋症の場合、具体的な不妊治療指導は、注射・投薬による貧血の改善と基礎体温を見ながらのタイミング指導です。内診では排卵をチェックするという不妊治療の入り口のようなものでした。高額費用をかけて体調管理をして本格的に取り組んでいる方に比べれば、なんでもない内容だったと思います。

子宮内膜腺筋症だと本格的な不妊治療は勧められない

「こんなに貧血がひどいのであれば、普通は子宮摘出をします。妊娠を望んでいなければの話だけれど」

貧血がひどいと、酸素を血液がうまく運ぶことができません。常に疲れやすくだるい。目の前も明るさが違います。

不妊治療をしている人がうらやましかった。どんなに辛そうでも、お金がかかってもうらやましかった。自分は赤ちゃんが出来ないのに不妊治療さえできない。自分だけ取り残されていくような気持ちになりました。

不妊治療をはじめて5年。思いがけない自然妊娠、そして出産

初めての妊娠は、病院の門を叩いてから5年後。奇跡的な自然妊娠でした。病院の先生もびっくり。私たちもびっくり。

思いがけない妊娠でした。気をつけていたのは、ただ貧血の治療と果物と野菜から酵素をたっぷりとれる食事をとること、体を冷やさないように、血流を良くすること、そのくらいでした。

 

ちょうど、ベランダの君子蘭にはじめての蕾がついたときでした。

切迫流産の疑いで一週間ほど入院したものの、逆子だったのも元に戻り、その後は順調に経過し、マタニティーライフを満喫しました。お腹の中で元気良く動く赤ちゃんとともに、穏やかにすごして出産を迎えました。立ち会った夫は「感動で胸が震えた」と後で教えてくれました。

 

私を選んで生まれてきてくれたただ唯一の赤ちゃんが、この3月誕生日で12歳になったひとり息子です。

 

生命の誕生は、この世の奇跡の出来事である

「一人妊娠すると、二人目の出来る可能性は高いよ!」と言われた通り、息子が2歳になった夏、この世には誕生することはなかったけれど2人目がお腹に宿りました。すごく嬉しかった。たった8週で流れてしまったけれど。

子宮が元に戻るために収縮するときの痛みとお腹の中で育めなかったことが悲しくて、病室で一人で泣いていたのを思い出します。

あの時も、君子蘭がオレンジの硬い蕾をつけていました。あれ以降、あの君子蘭は花をつけなくなりました。

 

妊娠して赤ちゃんを出産できる確率は、本当にわずかな確率です。奇跡といってもいい。縁あって私を母として選んでくれたわが子です。

4月から中学生となり寮生として親元を離れるけれど、いつどこにいたって私はずっと彼の健康と幸福を祈りつづけていきます。

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遠藤 美華

ライターの遠藤美華です。 取材に基づく文章作成を得意としています。インタビュー記事、プロフィール記事、WEBページのテキスト記事、執筆協力、SNS代行記事作成、など文章全般に渡るご依頼を承ります。